parfornir ruxu
岡崎藝術座『+51 アビアシオン,サンボルハ』
熊本公演へいってきました。
久しぶりの早川倉庫。靴下厚めにつき最前列上手の桟敷に座り込みました。
この演目に関して前評判(動画や対談や感想まとめ)を一切いれずにわきわきしながら挑みました。
演者に酷な激しい動きと観客に酷な台詞まわし。。。との感想が多かった岡崎藝術座ですが、ものすごく動かなくて(だけど役者に酷だった)ものすごくストレートな台詞(だけど時々惑った)でした。
なんだよ!観やすいし分かりやすいじゃないかよ!とか思いながらも、なんつーか「音」に集中する芝居でした。
音響という意味合いより、台詞も音の一部のような。
これは体験談なのかな?という(多分)主役の男性(作者の実体験だとアフタートークで判明)の語りのなかでふいに主語が散逸する。聞き慣れない単語が現れる。
みちゃうんですよ。
英語の字幕を!
なにこれ。
日本語を追うために英語読むってなに?
雪国の冒頭かよ!とか心の中で突っ込みながらそれはもーう必死です。
英語がままならない身の上で頼れるものが英語の字幕なんですよ。
観劇後にお茶してくだすった美樹さまとウエダさんに言ったら「そう!」「やった!字幕見た!」と同意を得ました。
それで「分かりやすい」とかよく言ったなと突っ込まれそうだけど、いや、とても分かりやすかったんですよ。
この感覚と似た経験を最近したなと思ったら『地面と床』の別パターンでした。(あの時は中国語を読みながら日本語を聞いて文法上のタイムラグを愉しむという関係でした)
序盤でやすやすと現代の演劇事情やネット民に知識人へ物議を醸しながらそれがどうしたと進む物語。
物議部分の補強にもなる続きだったけど、それだけでも成立はするんだなあ。
これはもう一度文字で読みたい。というかヒロシくんに読ませねば。
と思って戯曲を買いました。多分これ好きやわ。貸すから読めと。
明日(土曜日)のお席はまだゆとりがあるそうです。
いまのうちに観ておいたほうが良いと思って行ったわけですが、とても良かったです。あたし偉い。
※以下は、どうでもいい話です。
アフタートークで「…ん?」と思ってインタビュー記事や対談やら読んだんです。
★セルフ・ナラタージュ #01 神里雄大(岡崎藝術座)
http://d.hatena.ne.jp/bricolaq/touch/20150306/p1
25年前とかもう、時代が違う話になるとは思うんだけど、それ前提で思った、共感出来なかった部分。いや、実は共感出来るが持続しなかった部分の話。
今日、ヤダミクと話していてやっぱそうだよなと確認。
『ペルーのおばあちゃんの家でNHKBS 見てて、今、日本が大雪ですとニュースで騒いでても関心がなくなる。日本の情報どうでもよくなってきた。』
『海外にいたら日本で賞をとろうがとるまいが、今、この場に何も関係ないという感覚。ここで賞をとっても、目の前のペルーには何の影響もない』
↑このあたりです。
上海に行って最初の1ヶ月くらいは、とにかく「料金を聞き取れるようになる」事に必死だった。焼き芋数本、アイス一本買ってもお釣りが分からんから。
まず、住んでるとこの前の道に出てる露天で鍛えられた。
部屋では中国語に慣れるために現地の番組を流しっぱなし。
当然BSなんか映りません。
バスに乗れるようにやっとなって、闇の両替にチャレンジ(←いけません)
3ヶ月経った頃だろうか…日本に飢えた。
外資系のホテルのジムに通い、BSでニュースをしつこく見た時期があった。でも、お金が続かないもんで一週間遅れる事もある日本の新聞を隅から隅まで読んだ。大学の図書館に通い、留学生たちが置いていった小説を貪るように読んだ。今まで読んだこともないジャンルまで読んだ。
そんな生活で何よりも困ったのは「日本の文化を知っていて当たり前だ」という扱いを受けたこと。
着物の着付けに芸術大学の演劇学科に呼ばれたり。
あたしは、日本人なんだなあ。
そういうことが浮き彫りになったとき、なんか開き直ってカタコトしか話せないくせに中国各地を旅行した。
竜巻に巻き込まれそうになったり砂漠でコンタクト落としたり(笑)珍道中もいいところ。でもまだ地方では日本人は珍しかったのでいろんな人が親切にしてくれ、日本の事を聞きたがり、VIP 待遇もいいとこで人気者気分も味わえた。
後年、弟の連れ合いの実家…とんでもない田舎だった…に一族を代表して付き添い挨拶に伺ったときでさえ、近所の人もホテル周囲の人も
「日本人がいるって!?」
とワンサカ集まってくるわ、遠縁のおじいちゃんが杖をついて山道を二時間かけてやって来て顔を見るなり
「なんだ、俺たちと変わらん顔だ」
と、ろくに休憩もせず帰っていったり…
異邦人体験も満喫したのでした。
とまあ余談たっぷりですが、そんな体験をしたからなのか、自分が政治に近いからなのか分からないけども
海外に居ても「今日の実家の天気は晴れかー」と思うし、日本にいたら「あいつの国は雨だなーこっちは晴れなのに」とか思う。
短期の旅行のときは、そこまでないけど。
↑ここ。
どうも、短期の旅行の時の精神状態と似ているなあ~と思ったわけなんですわ。
だから
どうとかいう話ではない。
ただ個人的に勝手に、彼は二年間くらい海外で生活したら、もっとおもしろいものを出してきそうだなと、思いました。
Re:北九州の記憶
演劇・時空の旅
「お好み時空寄席」と「演劇・時空の旅」を観に、宮崎に行きましたー
『ゴドーを待ちながら』だけ観るつもりが「時空寄席」の開催とあって…一緒に行こう!と誘う予定だったひろし&みぞれが漫才でエントリーしやがりまして、一人で行ってきました(笑)
まあ、会場内に大分の人チラホラいたけど。
まあ、圧倒的に他県の知人が多かったんやけど。
まずは昼から寄席。
第一部の漫才は台本がしっかりしてるのもあり、予想外に大笑いしました。
予想外やったー!すんごく面白かった。台本が薄いものも役者がうまいこと力技でつなげたり、とても昨日うけとった台本をくじ引きで決めた即席コンビでやったとは思えない出来上がりでした。
トップのこふくコンビがとても見事な漫才でした。プロでもなかなかこの間は!という素晴らしさでしたよ。鹿殺しの康くんは東京から来てなにしてんの?ってカンジでナイスでした。
第二部の大喜利は、なかなかこの面子がひな壇に並ぶのは見られんぞ?という絵面がすでに面白かったです。作家の面々、性格がでますね。大迫くんがひらめきの攻撃でオチが流れっぱなしでもう、お前なにがしたいんだ?ってカンジで大笑いしました。他の皆さんは真面目にお題に答えてました。キスコさんがこなれてました(笑)
第三部は一般から応募のあった8組。
一言で言うと、玉石混合、、、その名前で大分の一部を騒然とさせていたコンビはつらかったです。我らがひろし&みぞれですが、オチが惜しかったです(笑)オチで台詞いっちゃだめだよ~長いよ~ワンフレーズにしなきゃ~
大本命の演劇公演まで2時間の休憩。会館周囲の飲食店が軒並み休憩時間か土曜日につき午後から休み。館内の喫茶コーナーまで休憩(そんな制度初めてきいた)さすが南国。
職員さんに教えてもらってイートインできるパンやさんにO堀さんとテクテク出かけました。ゴドーのフライヤ置いてる~
ほどよい時間となったので会館に戻り、観劇。
これまで『ゴドーを待ちながら』に関して考えたことといえば、ゴドーは救済者なのかとかその存在の主観性とか観察者と対象の融合とか。
今回は、ゴドーを待っている人々の存在への疑いが強く残りました。絶妙なライティングで夜の月明かりから暗転まえの明かりの落ち方が砂嵐に見える。かっこいい。砂漠や荒野にある朽ちたステージ。そこに落ちているラジオ。そのラジオから聞こえる会話。
いまなんですか?そこにいますか?
帰りに見上げた空には、ゴドーを待ちながら演者も観客も見ていた月をひっくりかえしたような月が夕方のオレンジに染まって浮かんでいた。
どちらから見た世界がほんとうなんだろう。
肉の写真は打ち上げというか交流会というか、混ざってきました。
椎木くんが中学生レベルの青春爆発野郎になってた。
キスコさんからゴムで作った指輪もらった~かわいい~あやかりますように。
九重町町制施行60周年記念事業「観八翁物語 笑門」
観てきました。
行く道すがら、夜中に凍結防止剤を撒いてくれた人たちのおかげで、こんなにいい天気の中、雪景色を見ながら悠々と高速道路を走れるのだ。助かるなあ~と思いながら運転してた。便利で平和な日本だなあと。
その便利も平和も先人いてこそ。そういう偉人の話です。
原田さんもパンフに書いているけど、こういうのって足跡紹介やヨイショ作は簡単に作れるけど、芝居として楽しめるものにするのは大変だろうなと思って、いじわるだけど、そこんとこどうしたんだろうって楽しみにしてました。
偉業の数々のベースに、何とも楽天家(これ、明治大正を生きた人の素敵な特徴でもある)な一代目の心映えがあるという視点での展開に納得。
押しつけがましくなく、自然に沁みてきました。
ただ、一代目と二代目が魅力的すぎて、一幕のラストは二代目にもっていかれたな~と。二代目の葛藤のほうが伝わってきて。水路が開通したときの喜びがね。
二幕目からは観八さんの芝居がやや巻きが入って落ち着いていてよかった。(一幕目は、この調子で最後までいかれたら飽きるなあ~と思った。)
洞窟に引きこもったあとの歓喜の笑顔がすごかったわ。ぐっさん。顔が迫ってきたよ。
観八さんに関してはとにかく、最後の最後にやっと気持ちがぐぐーっときて、ああ、主役に対してやっと気持ちが盛り上がったわーという感じだった。でもそれで正しいんだろうな。
村人に感謝されようが、電力会社の人に褒められようが、それはそれ。お気持ちありがとう。でも、好きでやっているんですよ、という感じが終始あった。
なので、一代目と二代目への手紙のシーンでやっと三代目の葛藤とその成就を感じて、人間としてぐぐーっときたんだと思う。
やるほうは、難しい芝居だわ。
原田さんドSね。
役者たちがとーても稽古したんだろうな!というのが場面場面の止まり姿の美しさから分かった。姿勢がいいとかいうんじゃなく。
あと、ブル転のときの影もきれいだった。
すんごい勿体なかったのは吾一!正面の見栄と体を開いて共演者へ向かって台詞を話すときの2パターンしか主な立ち姿がないから出番が長いと「なんで君だけ延々とリピート芝居をしているのだ」状態でした(笑)
カーテンコールのとき「さーみなさんもご存じ」と言われた歌、歌えた。。。何も迷わず。校歌も覚えてないのに八鹿の歌は覚えているという。
怖いなーこの刷り込み。天気予報が始まる気がするもんなー!
会場を出たら電車が走っていた。
ゴトンゴトンという音が、心を揺らしていったよ。
Dividual Plays―身体の無意識とシステムとの対話」
顔…特に目が痒かったので、とうとうマスカラで誤魔化すこともせず山口まで素っぴんで行ったー(笑)
RAMのシステム?ソフト?がどんなものか今一つ理解してないまま行く暴挙。
フライヤがかっこよかったし、あの意匠で何となくやろうとしてる事が検討ついたんで行きたかったのよね。
で、YCAMでランチしながら伊達さんに詳しく教えてもらう…そしてご馳走になってしまった…Σ(´□`;)
パスタもパンも林檎ドレッシングも美味しかったー!ご馳走さまでしたー!
カフェレストランでも会場でも伊達さんの知人に会う会う。さすがですよ、伊達さん。
そんなこんなで押し押しの開場。
ホワイエにあるモニタでRAMの実験経過が見られて時間潰しできるものの、開演時間を過ぎても開場しないのは初体験。
どういう状況で遅れているのかアナウンスくらいして然るべきであろうと悪態をつくあたし。大人げない。
全体が見渡せる一番上の席に座る。
すんごい見る。モニタと箱庭とダンサーを見比べる。
つい「成る程」と声が出る。家か!こら!
最初こそ全体を見るようにしていたけど無理がある。
どうしても箱庭が気になるあたし。
右目の端でダンサーを捉えながらも動きでどのシステムがどう反応してるのかとかタイムラグを見るのが愉しくてたまらない。
脳がフル回転しているまま公演が終わった。
うわー
今夜の脳が心配なくらい久しぶりに右脳と左脳を同時に使ったーとフンフンする。
ポストトークでも大西さんの話が一番興味深かった。
そのあとはゲストレクチャー。
講師は慶応義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授の稲見さん。
フィジカルに影響を与えるイレギュラなアクションを話すのにスポーツを例に出すのはあたしでも浮かんでた事だけど、まさかの鍋。
てっちり(笑)
ツカミでしっかり引き寄せられて最後まで愉しく聞けました。50分があっという間だったなあ。
メディアアートとインタラクティブ・プログラミングが気になるご時世。
ダンス公演を観たいと言うよりはプログラミング・デバイスデザインとサウンドプログラミングが楽しみでした。
ガッツリ!いや、予想以上に面白かった。
生録音してたらそのCD買いますってくらい好みのノイズ。
引き比べてダンスはどうかというと、普通だった。
ダンサーの身体の利きかたは素晴らしくてコンテとしてはレベルが高いんだろうなとは分かったけれど、新しい感動は特には感じなかった。
そして入力と出力の境界が分からなかった。
これは、この公演の目的からすると成功なんだと思う。
モニタに入力結果が映し出され、それを見て、見たとも考えたとも感じさせずに取り入れ、出力する身体。
RAMがこれからどうなるのか、RAMを使ったダンサーがRAMを外した後どんな変化をするのか。というのが課題のワークだと思う。
NHKの「ネクストワールド」で出てきた予測システムでの人工知能にも似たRAMが、生身の振り付け師を超えた未来は、正直、あんまり見たくない。
レクチャーにも出たように、世界最強はシステムとタッグを組んだ人間になるんだろうか。
とかとか妄想は続く。
そうそう、伊達さんに教えてもらって、美味しい外郎をお土産に買うことが出来ました☆
長年、山口の外郎は旨い!と言い続けていたあたし。やっと山口の中でも美味しいお店に行けた…嬉しい(’-’*)♪