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熊本で観劇。

101年目の太宰治を観てきました。
しれ~っと行こうと思ってたら、渚ちゃんと清末さんも行くってことで、便乗!乗合!経費削減(違?)

太宰って、共感力を発揮できないと、文芸的な愚痴なので、集中して観ました。
↑好きな人、すんません。

冬の花火。
そこに居ることへの懐疑、抵抗、先を考えまいとするがゆえの「自立」の手段、しかし義母への愛と罪悪感(歓迎されるものであるが世間的な良し)がキッカケで地域コミュニティでの労働を尊ぶ者に変換しようとした矢先の裏切り。

そういう、連綿とした感情の流れがセリフで「言葉」の力で伝わっても、いまいち、にじむような狂おしさを感じず、ぐるぐるとくすぶる。
冬の花火のように、そこにそうやってくすぶる。
場違いな火花と煙がぐるぐる。
義母と娘が同時に破裂する、「女」が弱く感じた。
面白い演出なのだけど、あまり有効に感じなかった。
なんでだろう。
面白かったのに。

休憩後、春の枯葉。
世界観が分裂してて、今なのか昔なのか、はっきりしないまま、やっぱ戦後?みたいな。
なぜそこで雪駄?とか変なこと気にしていたら菊代のエロスにやられた。

恵さんは、生命力のあるエロスを堂々と流しだす人だとおもう。

退廃的でも煽情的でもあるけど、それを上回る圧倒的な生命力が菊代にあり、「女」としてのふてぶてしさが、いっそ小気味よく感じた。
うがった見方をすると、節子のかたくなな岩戸を菊代の踊りが開かせ、新世界へいざない、節子がやっと、その両手で雪をかき分けたら結局その人の足元にもみずみずしい青葉や新芽はなく、枯葉であった。というような後半。

ぐぐーっと、妄想の世界に飛び込めた。

舞台は、騙されて、妄想させてもらって、やられた!って思って、やっと満足する。

難しいですなあ。


この2作に関しては、冬の花火のほうが、愚痴なんですよね、やっぱ。
春の枯葉は彼の恋する女たちvs彼や彼の兄の妻、そして彼vs理想の彼な気がする。
愚痴より、葛藤のほうが面白いのは、あたしが愚痴体質だからだと思う。
そして、解決しない悩みに葛藤するのが好きなのだと思う。

だから漱石もいいなーって思うのだろう。


業 です、ね。

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